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ギタリストインタビュー〜吉川忠英
1970年代から自身の音楽活動と並行してスタジオミュージシャン、サポートとして数多くの名曲のレコーディングに携わってきた吉川忠英。ギターを始めたきっかけからデビュー当初や現在の活動までお話いただきました。

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英語で歌うフォークロックに琴や琵琶、和太鼓、尺八、大正琴などの和楽器
を取り入れました

ーギターを始めたきっかけを教えていただけますか。


吉川忠英(以下、吉川):小学生の頃に親父からウクレレを買ってもらい、それをポロンポロンとさわっていたのが最初の弦楽器です。それと、学校で同じ頃に鼓笛隊が編成されて小太鼓を叩いていました。
その後中学に入ってもブラスバンドにいたのですが、ある日(たぶん演歌の古賀メロディを弾いていたと思う)友達のお父さんが持っていたガットギターをさわってみたけど、ネックが厚くて太いので、ギターは絶対弾けないなとあきらめてましたね。
それでも高校1年の時に兄がピックギターを借りてきたので、コードを教わり「ダイアナ」とかハンク・ウィリアムスなどのカントリーを見よう見まねで弾き始めていました。
その後、尊敬する親父のような外科医になろうと、高校2年の時、慶應志木高校に編入試験で入りました。それで勉強しようと思っていたのですが、あちこちからギターが聴こえてくるんです。いつしか勉強どころかギター漬けの日々になっていった訳です。1963年は、ピーター・ポール&マリーの「パフ」、ベンチャーズの「パイプライン」、ビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」などが同時期に流行る、エポックメイキングの年でした。それでみんなギターを始めたんですね。
おまけに、その時キングストン・トリオの完全コピーバンドをやっていた瀬戸龍介という男に出会う訳です。元々音楽が好きだったので、自分もPPM、キングストン・トリオ、ブラザース・フォーなどを夢中になって覚えました。

ーその頃からライブなども始めたのでしょうか。

吉川:「THE NEW CASTLE TRIO」というグループを作って、ライブやラジオ番組のコンテストなどに出てましたね。

ーギターを始めたのが高校二年生というのは、意外と遅い気がします。

吉川:今と比べたら遅いですね。ストロークやアルペジオ、スリー・フィンガーばかりで、今のようなタッピングやインストゥルメンタルなんか考えられない時代でした。

ー大学生になってもバンドなどを継続していたのでしょうか。

吉川:そうですね。大学3年の時に瀬戸がリーダーの「THE NEW FRONTIERS」に引き抜かれて、セミプロのような活動を始めました。この頃は忙しかったですね。
大学を卒業すると、まだバンドで食べていける状況ではなかったので、僕も含めてみんな就職しました。しかし、すぐに音楽をやりたくなって集まり、米軍キャンプでの演奏などを始めたんです。このギャラが高かったんですね。初任給が28,000円くらいの頃に、200ドル、当時1ドル360円だったので72,000円くらいもらってました。これなら食べていけるかなと思い始めて、会社は4月に入社したのに12月には退職し、翌年「THE NEW FRONTIERS」はプロになってしまいました。

ー「THE NEW FRONTIERS」はアメリカで活動されていましたね。

吉川:みんなビートルズみたいになりたいと思ってました。でも普通に勝負してはアジア人では勝てないと思い、日本人は日本らしい楽器を使った方がいいということで、英語で歌うフォークロックに琴や琵琶、和太鼓、尺八、大正琴などの和楽器を取り入れました。
1971年にアメリカに行って、デモテープを作り、いろいろなところに売り込んだりして、やっと1972年にキャピトルレコードからアルバムを出す事となりました。バンド名は「EAST」となり、様々な演奏活動をしましたね。
しかし、アメリカでジェイムス・テイラーに出会い彼の音楽を聴いて勉強している内に、「EAST」の音楽は少し違うかなと思うようになってきました。自分で日本語で歌いたくなってきたんですね。それで1972年12月に「EAST」をやめて、日本語でジェイムス・テイラーのような音楽を作り、石川鷹彦のホームスタジオでデモテープを沢山作って、1974年にコロムビアからシンガーソングライターとしてソロデビューすることになりました。

ーその頃はフォークソング全盛の頃だったと思います。

吉川:そうですね。関西フォークもすごかったし、はっぴいえんど、この頃はティン・パン・アレーですね、人気がありました。ティン・パン・アレーに入らないかという話もあったのですが、グループが嫌になってた時期で、ソロで活動していました。

ーシンガーソングライターとしての活動と並行して、スタジオミュージシャンとしても活動を始めたのでしょうか。

吉川:松任谷正隆が学校の後輩だったのですが、僕たちのグループのファンでレコーディングに参加してくれないかという話をしてきました。荒井由実の「MISSLIM (ミスリム)」(1974年)から呼ばれ始めましたね。ここからスタジオワークが始まったのですが、ギターがうまいのがいるよと噂が広がって仕事が増え、1970年代、1980年代は忙しかったです。アレンジャーも瀬尾一三、松任谷正隆、萩田光雄など、若手の同世代が増えてきていました。
今はレコーディングは少なくなってきています。みんな自分でできるものは自分でやって、どうしても出来ないものがあると呼ばれますね。



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吉川忠英

https://www.facebook.com/chuei.yoshikawa

1947年 東京生まれ。
71年、伝説のグループ“THE NEW FRONTIERS”のメンバーとして渡米。西海岸を中心にコンサート活動を行い、和楽器を取り入れたフォークロック・グループとして注目を浴びる。72年、“EAST”と改名し全米デビューを果たす。
帰国後シンガーソングライターとしてアルバムデビューし、同時にスタジオ・ミュージシャン、アレンジャー・プロデューサーとしての活動を開始。
アコースティックギターの第一人者として、中島みゆき・松任谷由実・福山雅治・夏川りみ・加山雄三・Chageなど、ニューミュージック系のアーティストを中心に数多くのレコーディングやコンサートに参加している。
毎年、北海道から沖縄まで全国ソロライブツアーも精力的に行なっており、その旅の音風景とも言える楽曲を集めたアルバム「Relax & Slow ~Natural Style~」を2014年夏に発売。
季刊誌「ACOUSTIC GUITAR MAGAZINE」(リットーミュージック)に『チューエイのスタジオ日記』執筆中。

ニューアルバム「リラックス&スロー~ナチュラル・スタイル」
リラックス&スロー~ナチュラル・スタイル

1. 美しき山
2. Sunny Side Up
3. 風窓
4. After Rain
5. Four Times
6. Morning Sun
7. Travolution
8. Pavement
9. N.A.D.
10. Sweetness
11. Delight
12. Habanera
13. 318 Spring#1
14. タラの庭
15. Simple Life
16. Fuji House
17. 一日の終わり
18. Slow Fuji


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