Acoustic Guitar World
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ギタリストインタビュー〜竹内いちろ
フィンガーピッキングデイ2005で最優秀賞を獲得、ソロギタリストと並行してヴォーカルユニット野分( のわき)、ベースとのデュオ十弦夢(じゅげむ)など様々な活動をしている竹内いちろさんに、これまでの活動や現在の心境など幅広くお話をうかがいました。

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歌などでフロントに立つのが好きではなくて、斜め後ろで格好いいのを弾いてるのが以前から好きだったんです(笑)

ーギターを始めたきっかけを教えてもらえますか。

竹内いちろ(以下、竹内):中学2年生の時ですが、友達の家にお兄さんのギターがありました。友達がそれで井上陽水の「東へ西へ」のイントロを弾き始めたのですが、腹が立ちましてね(笑)。昨日まで一緒に遊んでた友達が、いきなり格好良く見えたんです。その場でEm、Amを教えてもらい、そのお兄さんのギターを友達から勝手に千円で買って帰りました(笑)。
家に帰ると父が演歌などの本を持っていたので、それを練習していました。一番最後に「禁じられた遊び」が載っていましたね。ネックが反っていたり状態の悪いギターでしたが、弦を張り替えて熱中して弾いてました。弦高は6弦で1.5cmくらいありましたが(笑)。
とにかく弾けるようになりたくて、ヤングギターなどの何種類かのギター雑誌を買って、アルペジオ、スリーフィンガーなど当時のフォークソングを練習しました。
竹内いちろ
ー人前での演奏などもされたのでしょうか。

竹内:中学3年の夏にロックバンドを組みました。当時流行っていたKISSやベイ・シティ・ローラーズなどのコピーで、僕はその時はドラムだったのですが、夏から秋にかけて文化祭で演奏していました。この頃はロックが好きだったんですね。
その冬くらいに、家の近くで高石ともやとザ・ナターシャー・セブンのコンサートがあったんです。僕は行けなかったのですが、友達がそれをカセットに録音して、聴かせてくれました。これがショッキングだったんです。ギターの城田じゅんじさんがスリーフィンガーで「Freight Train」を演奏していました。これを聴いて血が逆流する思いでしたね。友達にこの曲何人で弾いてるか聴くと、一人で弾いていると。インストゥルメンタルではないですが、一人でメロディやベースなどを弾いているのに惹かれました。コード進行はシンプルですが、弾き方はわかりません。どうやってメロディが入るのかなどわからないまま数ヶ月が過ぎたのですが、音楽雑誌にこの曲の譜面が載って喜んで弾きましたね。
この頃からザ・ナターシャー・セブンが好きでした。フィンガースタイルも弾くしフラットピッキングでカントリー、ブルーグラスも演奏します。中学3年から高校生くらいまでこういう系統が好きでしたね。一緒にロックバンドをしていた友達とバンジョーやマンドリンなども入れて、ザ・ナターシャー・セブンのカントリー、ブルーグラスをコピーして、フラットピッキングのテクニックを身につけました。
これとは別に、高校1年生の時に京都の円山音楽堂というところで宵々山コンサートというのがありまして、ここでも大ショックがありました。この時、杉田二郎さんのバックに当時25才くらいだった岡崎倫典さんがいました。アコギで5フレット以上を使って格好いい単音のフレーズを弾いていたんです。アコギでこういうフレーズを弾くことに驚いたんですね。それとゲストの石川鷹彦さんが「アンジー」を弾きました。これには大ショックを受けました。この時カセットに録音していたのですが、当時の若い自分がため息をついているのがわかります(笑)。
「アンジー」を聴いて、ギター1本の世界というのを感じ、1年くらいかけて耳コピをしました。最初の半年くらいは訳わかりませんでしたが、高校2年生くらいには何とか弾けるようになっていました。これが指弾きのインストの最初ですね。
同時に、高校1年生の時に知ったのは、ザ・ナターシャー・セブンがラジオでドック・ワトソンを紹介して、ハマりましたね。ドック・ワトソンのレコードをプー横丁で購入しました。ドック・ワトソンのコピーも一生懸命して、技術が身に付いてきたと思います。
確か高校3年生頃に中川イサトさんの「1310」を聴いたのですが、これも衝撃的でした。吉田拓郎さんの「元気です」で、石川鷹彦さんが弾いているフレーズは全部コピーしました。とにかく生ギターの聴こえるものは片っ端からコピーしていましたね。僕自身は歌などでフロントに立つのが好きではなくて、斜め後ろで格好いいのを弾いてるのが以前から好きだったんです(笑)。

ー作曲などはされていたのでしょうか。

竹内:全くできなかったです。耳だけはいいからコピーは得意だったのですが、当時は作曲はできなかったですね。アドリブも苦手で、コピーでは結構弾けたのですが、ギターの才能が無いと思ってました。高校生になると友達も曲を作ったりしているので、劣等感の塊で、屈折してましたね。

ーそれがどのように変化していったのでしょうか。

竹内:高校卒業後、大学ではクラシックギター部に入りました。フラメンコ部門、クラシック部門、ラテン部門というのがありました。当時フラメンコギターやクラシックギターは高かったのですが、ラテンでは鉄弦でも何でもよかったんです。なので鉄弦のアコースティックギターを持っていっていました。スーパー・ギター・トリオ(パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラ)が好きだったので、真似したりスケール練習をしていました。相変わらず作曲はできなかったし、作ろうとも思っていませんでしたね。
クラシックギター部に入ったのがきっかけでナイロン弦に興味を持ち、バーデン・パウエルが好きになりました。パコ・デ・ルシアは無理と思いましたが(笑)。

ークラシックギター部ですが、クラシック音楽は練習しなかったのでしょうか。

竹内:クラシックは高校生の頃にバッハのリュート組曲の何番かは忘れましたが、1曲だけ弾いてました。バッハの響きは好きでしたね。でも大学に入ってもクラシックはそれだけです。

ーソロギターの活動というのはフィンガーピッキングデイ2005で最優秀賞を獲得した後しか知らないのですが、それ以前はどのような活動をされていたのでしょうか。

竹内:大学時代に友達から大阪のキャバレーで代わりに演奏してくれないかと頼まれました。これが多分初めてお金をもらった演奏だと思います。行ったら楽譜が積まれるんです。演歌、ジャズ、クリスマスソングなどいろいろなジャンルが混ざっていました。エレキギターでこれらを演奏したんです。楽譜を読まない状態で行ったのですが、読めないんだったら弾いてるフリだけしてくれと(笑)。ヴォリュームを下げて弾いてるフリだけしてました(笑)。
皆ジャズを長年演奏している人達で、後ろにいるピアノのおっちゃんから「後ろ姿が様になってるから、お前はプロになれる」と言われたんです。この言葉は強く残ってますね。何を根拠にと思いましたが(笑)。当時は大学5年生か6年生くらいです(笑)。
大学を卒業したらヤマハの講師になりました。ポピュラーミュージックスクールが始まって2年目だったと思います。京都の十字屋というところで、当時はアコースティックギターはなかったので、エレキギター科でした。エレキギターを弾き始めて1,2年くらいでしたが、このつながりで京都でいろいろとお仕事をもらいました。25才から10年くらいはアコースティックギターは全然弾いてなくて、仕事ではずっとエレキギターでした。そこで鍛えられましたね。当時はバンドブームの少し前くらいで、レベッカなどが流行ってました。

ーやはりエレキギターの方が需要が大きい時期ですね。

竹内:そうですね。アコースティックギターはホコリをかぶってました(笑)。

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竹内いちろ

http://mrgtr.web.fc2.com

1962年京都生まれ。
フィンガー・ピッキング・デイ2005最優秀賞。
ウィンフィールドのInternational Finger Style Guitar Championship2005トップ5入賞。
ソロ活動だけでなく、ヴォーカルとのデュオ「野分(のわき)」(歌:山崎のりこ)、ベースとのデュオ「十弦夢(じゅげむ)」(ベース:見掛英治)など、様々なミュージシャンとのセッションやサポートも行っている。


アルバム「Takeuchi Ichiro」
Takeuchi Ichiro

1. Thanks to You/Congratulations
2. ヒミツ基地
3.野狐禅
4. かげろふのうた
5. ギタア彈きの杞憂 
6. Oneway-Noway
7. 時の棺
8. 上を向いて歩こう (作曲 : 中村八大)
9. Go Home
10. 黒の森

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