Acoustic Guitar World
ホーム インタビュー ニュース イベント 電子書籍 レビュー   無料メールマガジン
ギタリストインタビュー〜竹内いちろ
前のページ 1 2 3 次のページ
ソロは落語で、二人以上だと漫才のようで面白いんですね

ーアコースティックギターに戻ったのはどのようなきっかけだったのでしょうか。

竹内:ずっとエレキギターで活動していましたが、一度音楽の活動を完全にやめていた時期があるんです。5年くらい鉄道の軌道作業員をしていました。その現場では事故で人が亡くなるところなどを見る事があったんです。人ってあっけないなと思いましたね。ユンボ(ショベルカー)のバケツでコンと当たったら、人間はコロッと死んでしまいます。
仕事はしんどかったですが、嫌いではなかったんです。それでもふとやりたいことをした方がいいなと思いました。それで音楽業界に戻ったのですが、鉄道の仕事をしながら弾き語りなど、少しずつ活動していました。アコースティックギターも再開しましたが、まだソロギターは始めていませんでした。 この頃パソコンが流行りだしたんです。Windows95の終わりくらいですね。ギターに関する検索をしていて、もう6年ほど前に亡くなっていますが、三重で活動している野田悟郎さんというギタリストを知りました。僕が高校生の頃ですが、中川イサトさんが大阪でギター教室をされていました。そこに通いたかったのですが、受験生ということもあり行けませんでした。野田悟郎さんはそこに通っていたんです。それで連絡をとって仲良くなり、いろいろと一緒にやるようになりました。彼はアコースティックギターで即興中心のフリーのインプロビゼーションだったのですが、僕に対しては好きにやってくれと。僕もエレキギターを10年くらいやった後なのでアドリブもできるようになっていました。この頃、2000年より前くらいだと思いましたが「Congratulations」「Go Home」の2曲を作っています。
この後、大きな出会いがありました。当時は三重県の伊勢に住んでいたのですが、昔京都で一緒にバンドをしていた人の知り合いにNさんという方がいまして、NさんからPETAを知っていますか、と聞かれました。ホームページで名前は知っている、というくらいでしが、PETAの楽譜集の採譜を頼みたいという話でした。ここからPETAと知り合い、Nさんは小松原俊さんと親しかったので、小松原さんと会う事にもなりました。 この頃はエレキギターは全く弾いておらず、アコースティックギターだけでした。そこで、小松原さんやPETAのアーヴィン・ソモギのギターなど、いい楽器と対面できる環境になりました。びっくりしましたね。5弦のチューニングをするだけですごい楽器だということがわかります。これが2003年だったのですが、その前の年に小松原さんが三重に来る時に、オープニングアクトをやらせてくださいと連絡をしました。それでいいよと言われたのですが、当時は失礼ながら小松原さんのライブを見たこともないし、CDを聴いたこともありませんでした(笑)。それでリハーサルを聴いたら帰りたくなりましたね(笑)。とんでもないところに来てしまったなと。オープニングをやらせていただき、その日は夜の2時くらいまで小松原さんとお話させていただいて、その時に僕の中に残っているいくつかの言葉というのは、いろいろなきっかけになっていますね。そこから1年後にNさんにお会いしているんです。ここから、ソロギターを演奏するようになってきました。
それから名古屋に引っ越したのですが、当時赤崎郁洋くんや下山亮平くんがよく泊まりにきていました。赤崎くんはフィンガー・ピッキング・デイで優勝していたので、どんな感じか聞いたりして、彼は「いちろさんなら楽勝ですよ」みたいに言うのですが、僕は全然自信はありませんでした。それでも自分はどうなんだろうと思い、力試しで2004年に音源を送りました。当時41才でしたが、これがダメならもうやめようかな、とも思ってました。それで音源審査を通過して本選に出場して、優勝することができました。この時は丸山ももたろうさんが審査員で、その後丸山ももたろうさんともツアーができたりして、楽しくなっていきましたね。
竹内いちろ
ー周りの環境からソロギターへ向いていった感じですね。

竹内:そうですね。やめさせてくれないなとたまに思います(笑)。傲慢な言い方かもしれませんが、音楽の神様から見放されたらやめなければいけないなと。あまり見放されてるという感じはなくて、やはり音を出している時が生きている感じがします。僕は反応で音を出しているだけなんですが。
コンテストは出るからには1番しか眼中になかったんです。コンテストというのは1番と2番では天と地ほどの差があると思ってました。もし1番でなかったら、ギターは趣味にしようかとも思ってましたね。フィンガー・ピッキング・デイではその先のウィンフィールドを見ていたんです。カントリー、ブルーグラスの本場で憧れがありましたので、ここに行きたいと思ってました。その割には音源は寝起きにMD録っただけで、そんなにきちんとしてなかったのですが(笑)。

ー日本で優勝し、翌年ウィンフィールドに行かれました。やはり日本とは雰囲気は違いましたか。

竹内:アメリカのフェスティバルというのは楽しむもので、楽しみ方のレベルが尋常じゃないです。本当に楽しかったですね。非日常みたいな感じだと思うのですが、とにかくお祭りだから楽しくハッピーにやろうぜというのが満ちあふれてました。

ー基本的にはお祭り、フェスティバルであって、コンテストはその一環ということですね。

竹内:そうですね。いろいろなコンテストはあるし、トミー・エマニュエルがその辺でギター弾いてるし(笑)。人だかりになってましたけどね。

ーコンテストは予選があり、そこからトップ5が選ばれ決勝に進みます。見事トップ5に入りましたね。

竹内:僕はトップ5に入る事を目標として、コンテストに臨みました。そしてトップ5に入りました、というところで、気持ちが終わってしまったんです。1,2,3位というのは考えてなかったですね。トップ5に入ったらその後は演奏もしたくないと(笑)。決勝は苦痛でしたね。しぼんだ風船みたいでした(笑)。

ー予選で2曲演奏し、決勝では違う曲を2曲弾くんですよね。

竹内:そうですね。だから決勝の2曲はあまり練習もしてませんでした(笑)。仮に3位以上を狙うのだったら、次の年と考えてましたね。

ーそこからソロギターの活動が多くなってきましたか。

竹内:はい。それでもまだオリジナル曲も少なくアルバムもありませんでした。2006年に伍々慧くんと一緒にラジオの番組をやったのですが、これも大きなきっかけですね。1年間くらいやっていました。

ーそれはどのような番組だったのでしょうか。

竹内:30分番組でプロットが4つあり、国であるとか会いたい人とか大きなテーマがあって、1回の放送で2つ取り上げて選曲します。国といっても現実の国でなくてもいいし、「光の国」といってウルトラマンの曲をかけたり(笑)、自由でしたね。自分が選んだテーマと曲に対して何かを話すのですが、この番組の影響でMCではよくしゃべるようになりました(笑)。それ以前は全然しゃべれなかったんですよ。

ー今では想像できませんが(笑)、MCは苦手だったのですか。

竹内:人前で話すのは苦手でした。音楽教室で話すのは慣れましたが、ライブでは何を話せばいいのか。。。嫌いでしたね。今はいらんことをなんぼでもしゃべってしまいます(笑)。
ラジオでは自分が選んだコーナーでどうしても話さなければいけなかったんですね。5分のうち最初の1分半は必ず話すとか。だんだん慣れてきて、番組も終わり頃は話しが多すぎてハサミが入ってました(笑)。

ーずっと二人だけだったのでしょうか。

竹内:最初は伍々くんが一人でやってました。「GO GO WorldS」というタイトルだったと思います。そこから僕にシフトして、伍々くんがたまにくるという感じです。年に3,4回、「いち伍」という二人での企画モノのライブもしていました。相手はまだ10代ですよ(笑)。
この頃から関西や東京にも行くようになり、伊藤賢一くんとも知り合いました。僕にとって彼の登場は面白かったですね。僕はジョン・レンボーンが好きなんですよ。伊藤くんはフィンガー・ピッキング・デイに何回か出ていて、当時はオーディエンス賞を獲得すると録音をさせてもらってMP3.comに上げてくれるというものがありました。そこに何人かのギタリストも音源があったのですが、伊藤くんはレギュラーチューニングで演奏しており、面白いなと思ってました。そこで名古屋で一緒にライブをすることになったのですが、やっぱり面白いんです。リハーサルの時からなんかくすぐるんですよ。あ〜わかるわかるって。すごく仲良くなって、その後もライブを一緒にするようになりました。タイプは全然違うのですが、ポイントがよく似てるんですね。ずっと掘っていったら根っこでつながるという感じです。

ー現在も豊田渉平さんとツアーをしたり、多くの人とセッションをされていますね。

竹内:昔からセッションというか、二人以上で演奏するのが好きでした。落語と漫才みたいな感じですね。ソロは落語で、二人以上だと漫才のようで面白いんですね。僕は二人以上でやった上での、ソロギタリストなんです。例えばすごくいいリズムのベーシストの音やグルーブを体で感じれば、一人でソロで弾いた時にいいリズムになります。上手な歌い手とやっていると、1,2弦で弾くメロディがいい歌になってきたり、フィードバックされるんですね。若い時から女性の歌い手には恵まれていて、彼女らの歌い方がベースになっています。子供の頃から日本の女性歌手が好きでしたね。



前のページ 1 2 3 次のページ


竹内いちろ

http://mrgtr.web.fc2.com

1962年京都生まれ。
フィンガー・ピッキング・デイ2005最優秀賞。
ウィンフィールドのInternational Finger Style Guitar Championship2005トップ5入賞。
ソロ活動だけでなく、ヴォーカルとのデュオ「野分(のわき)」(歌:山崎のりこ)、ベースとのデュオ「十弦夢(じゅげむ)」(ベース:見掛英治)など、様々なミュージシャンとのセッションやサポートも行っている。


アルバム「Takeuchi Ichiro」
Takeuchi Ichiro

1. Thanks to You/Congratulations
2. ヒミツ基地
3.野狐禅
4. かげろふのうた
5. ギタア彈きの杞憂 
6. Oneway-Noway
7. 時の棺
8. 上を向いて歩こう (作曲 : 中村八大)
9. Go Home
10. 黒の森

CD購入ページ





Acoustic Guitar World

トップページ l インタビュー l ニュース l イベント l 電子書籍 l レビュー l EPUBについて l facebook l Twitter 
Acoustic Guitar World について Copyright © Acoustic Guitar World All Rights Reserved.